「田の草取りからみえる日本」

5月29日(土)の王国イベントは、男性7名、女性3名、子供4名の全14名の参加者と、田の草取りをやりました。
研修生のニキは、東京の国際エコビレッジ国際会議に行っていたので、僕とミツヲ君と小原さんも参加し、会員さんと合わせると総勢17名です。約4反の田んぼの草取りをこの人数でやっても、初日だけでは終わらないだろうと話しました。
しかし、なんのなんの!
途中、小雨模様のなか、僕達小数精鋭草取り隊は、雨にも負けず、風にも負けず気迫の草取りで、ガシガシと進み夕方までには見事に終了したのでした!
お風呂に入ってから恒例の生ビールでカンパイをしましたが5月とは思えない程、肌寒い夜で生ビールも売れ行きは悪く、会員の木村さんが持って来てくれたおいしい日本酒の方が人気がありました。
田の草取りをしていると、いつも思うことがあります。
有機無農薬のお米づくりが、人や大地の健康に良いに決まっていますが、たった今、日本中から農薬が消えたら餓死者が出るのではないだろうかと思ってしまいます。
田の草取りは本当に大変な作業で、日本の農家の平均年齢は確か60才を超えていたと思うので、その60代以降の方に何反も何町も、田の草取りをするのは不可能です。
働き盛りのせがれは街に働きに行ってるので、残ったじっちゃん、ばっちゃんが、がんばって代々家に受け継がれている田んぼを大型機械と農薬でなんとか維持しているのが日本の農村の現状なのです。
僕も、王国の田んぼとは別に自給用の田んぼを1反半、友人家族と有機無農薬でやっているが、このサイズでも草取りはかなりの重労働です。僕は、農村に10年暮らし、この草取りを体験し、村人達と親しくなるにつれ、無農薬だ、オーガニックだなどと声高に言うことは出来なくなりました。
どんな方法にせよ、田んぼでお米をつくり続け、日本国民の命を支えているのであれば、それだけでもう感謝すべきことだと思うようになったのです。
ありがとうございます!
お百姓さん!
安心、安全な食を求めるなら、それは全国民の問題であり、社会全体の責任であると思う。
第二次大戦後、農業社会から工業社会へとシフトし、農村の若者達を、都市や工場の労働力として吸い上げ、一気に経済大国へと駆け上がり、世界中に日本の工業製品を輸出し、世界中から食料と資源を輸入し、この60年で僕らは信じられない程物質的に豊かになった。
しかし、農村には誰も若者はいなくなってしまった。僕の暮らす小さな集落もほとんどが60、70、80代だ。
食べ物があり、人の命があってこそ、生活が成り立ち、文化も芸術も、経済活動もある。
食は社会の基本である。食料自給率が40%を切ったこの国はかなりヤバイと思う。
この国の方向を、日本と言う船の舵取りを、変える時期に来ている。
政治も、もちろんそうだが、その前に一人ひとりの意識が先だと思う。「気づき」がある一定の数に達した時、「101匹の猿」現象が起きる。その時、自然と政治も経済も変わるのではないだろうか?
一人ひとりが「101匹の猿」になればいい。
新しい社会を生きる、新しい日本人=地球人になればいい。
地球上の人と自然に配慮した生き方を実践し、今、出来ることから実行すればいい。
そして自らが輝き、その輝きがまわりを明るく照らしていくのだ。
田んぼに入って、田の草取りをするといろんな日本がみえてくる。
田の草取りは、100冊の本を読む以上に多くのことを教えてくれる。
日本人がみんな田んぼをやったら、社会は自然と変わるのではないだろうかと思ってしまう…。
林良樹
あわのわコミュニティーカフェ&マーケット Vol.8
あわのわコミュニティーカフェ&マーケット Vol.8
早朝、カミナリも鳴るほどの激しい雨音に目を覚まし、今日は雨バージョンでいくかと覚悟を決めた。
あわのわは、雨天決行なので雨の日は、ステージと飲食会場を藤本敏夫記念館に、マーケット会場を赤い家に移し、縮小して行うことになっているのだ。
ところが、朝8時頃会場に来て準備を始めていると、雨は上がり雲のすき間からまぶしい太陽が顔を出した。
「晴れたね!」安房の仲間達がうれしそうに続々と集まって来た。
すがすがしい森の精気が充満する小春日和の3月21日日曜日の春分の日、Dawn peopleの透明感のある気持ちの良いヴァイオリンとギターであわのわVol.8はスタートした。
出店者のみんなでつくるこのコミュニティーカフェ&マーケットは、物を売り買いするだけではなく、人と人が出会い交流し、つながる場でもある。みんなの日々の活動や思い、こんなコトがしたい、あんなコトがあったらいいなをステージで話し、会場で語り合う場。新聞やテレビやインターネットでさえも手に入らない、この地域のリアルな情報が送受信できる「あわのわ」は、僕らのマルチメディアスーペースだ。
そして、この出会いからバチッバチッと化学反応が起こり新しいイメージが次々と創造されてく。
地域通貨「安房マネー」というネットワークが畑となり、そこに僕らは種となって、自然農的に好きなトコロに着地する。そして宇宙の絶妙なタイミングによって、やがて自然と芽を出すと、同じヴァイブレーションの仲間達も近くでいっせいに芽を出している。その仲間達とこれまた自然とつながって、自分達の望む花を咲かせ実を結ぶのだ。そう、ここでは力まずに自然と物事が進んでいく。
それが、鴨川マジック。
それが虹の村の奇跡。
それが、安房の国の不思議。
去年の春のあわのわに、東京から遊びに来ていたクリスとエリは今回のステージで素晴らしい演奏とダンスを披露してくれた。
ステージで踊るエリの天女の様な舞いと、クリスのネイティブフルートの調べは、まさに今の鴨川を象徴していた。彼らは、去年あわのわに来た時、この鴨川に移り住んで、あわのわのステージに立ちたいと思ったそうだ。そして一年もしないうちに実現してしまった。
「夢がかなったわ!」とエリはうれしそうに僕に言っていた。
エリのベリーダンスは、まるで春風のように自由でやわらかい空気をつくっていた。クリスのネイティブフルートも、ユーラシア的でありながらも、どこの国のものでもない音色で、Yaeちゃんのボーカルと合わさると、すごく日本的であるんだけどコスモポリタンというか、全地球的な表現になっていた。
それが鴨川の持っているムードなんだと思う。
すごくアジア的で、これぞ日本の農村の原風景でありながら東洋と西洋の文化がMIXされ、新しい地球文明の息吹が感じられる。
クリスとエリも、感性はアメリカ人でも日本人でもなく地球人だ。地球意識を持って生きる人の心に、国境はない。
だから、いきなり村の人とも仲良くなって、廃校になった小学校を考える会の役員にもなり、地域コミュニティの活動にも積極的に関わっている。

地球意識を持って生きる地球人。
そんな人達が増え、そんな彼らが新しい世界をつくっていく。
あわのわはそんな地球人が、たくさん集まる場でもある。
画家であり絵本作家でもある宮下昌也さんは、里山を舞台に、アートを通じて人と自然をつなげるスペース「アートガーデン・コヅカ森の家」を運営し、今年の夏はそこでアートフェスを開催する話を、あわのわトークでしてもらった。
真魚さんのアニミズム・オフライン「森の文明」では、古代からこの星と共に生きて来た先住民の精神文化の視点から、この現代文明を、この房総の森と暮らしを、言葉と映像と音で会場のお客さんと共に見つめ直した。
そして、始まったばかりの「里山生活お助け隊」のメンバーにステージに来てもらい、これからの活動のイメージを代表の今西さんに話していただいた。
このプロジェクトは超高齢化の里山集落の問題解決ビジネスに育ってゆく可能性がある。草刈り、家畜の世話、買い物代行、送迎、田畑の手伝い、樹木の伐採、食事のお世話等々…。環境と福祉の地域住民のニーズに、行政がケアできない部分を、若者達のフットワークで対応していければ、コミュニティの再生にもつながる。有償、ボランティア、地域通貨を、時と場合によって柔軟に使い分け、「お助け隊」の現金収入にもなり、地域にも喜ばれるというNPO的なソーシャルビジネス(社会企業)に発展すれば、雇用も生まれ、地域との信頼関係もより深まるだろう。

続いて今、鴨川で一番ホットな「地域自給組合あわのわ」のメンバーにステージに来てもらい、現在行われているプロジェクトを説明していただいた。
これも代表が今西さんである!この人は風の様にプロジェクトを立ち上げては、とどまるコトを知らずニコニコとしながら進んでいくのだ。今、鴨川でもっともオモシロイ人だと僕は勝手に思っている。
この自給組合は、実にアメーバ的組織で、これも鴨川っぽい組織だ。一応代表や事務局はあるが、基本的には、やりたい人が、勝手に仲間を募って勝手にやってちょうだいと。
各プロジェクトは自己完結型で、それぞれのプロジェクトがリンクしてつながっているのが「地域自給組合あわのわ」で、限りなく自由な形をとっている。
「塩のわ」では太平洋へ行って海水をくんで、一日中火を炊いて塩をつくったり、「家のわ」では、地元の木を切り出して、小さな小屋をつくったり、「衣のわ」では、地元の草で糸を作るWSを企画したり、「穀物のわ」では、みんなで麦を育てたり、「音のわ」では、この生活から生まれる音楽をつくっていこうと、みんなでセッションしたり、「里山の知恵のわ」では、僕と事務局のケーイチ君が担当していて村の長老から竹ぼうきつくりを教わったり(この前やって素晴らしい竹ぼうきが出来ました。)、お茶のつくり方を教わるWSを企画している。
地域内自給、それはこれからの社会のテーマでもある。
地域で生活を自立させていくことが、地球環境を破壊せず、世界が平和になっていく基本となるからだ。
それは、マハトマ・ガンジーが昔から言って来たコトだが、今もその言葉は色あせず、いや増々もって重要になって来ている。世界中から、エネルギー、資源、食料を運び続けることが、どれだけ自然を破壊し、発展途上国と呼ばれる国々の人を犠牲にし、戦争の原因になっているか。それは今、多くの市民が気づき始めている。

子供の王国のトークは、参加しているお母さん達にステージへ来てもらい話してもらった。
子供の王国とは、毎月第2、第4土曜日、自然王国で行われている里山自主保育だ。
子供達は自然のなかでのびのびと遊び、みんなでわらべ歌をうたったり、ごはんをつくったり、森を散歩したり、四季おりおりの美しい里山で、センス オブ ワンダーをはぐくんでいる。
次のあわのわトークは、awanovaというコミュニティスペースを始めるオーガニック&ベジタリアン料理家の3人の女性に登場してもらった。
「ロカヒ」のやっちゃん、「ルンタ」のみほちゃんと、「ラブ&ライス」のまゆちゃんだ。長狭街道から、金束の交差点を入ったトコロにある小さなプレハブ小屋をみんなで改修し、月イチでオープンする小さなあわのわの様なコミュニティスペースにする予定だ。
オープンに向けて改修を手伝ってほしいと3人はステージであわの仲間に呼びかけた。
最後のあわのわトーク「虹の村で結ばれて」では、3組の新婚さんにステージへ来てもらった。ラブ&ライスのかんま君とまゆちゃん、長いドレッドヘアーのキミシーとアグリちゃん、そしてガラス作家のシャンティガラスのゲン君とフミちゃんだ。
みんな、都会から移住してきた20代から30代の若者達だ。過疎の農村に若者達が都会から逆流して来て、恋をして結婚し、子供を産み育て、夢と希望を持って土の上でシンプルライフを送るのだ。
本当の「勝ち組」とは、僕らのほうだ。
いや、そうではない。
勝ち、負けを超えた人生がここにある。
「王様であろうと、百姓であろうと、
自分の家庭で平和を見出す物が、
一番幸福な人間である」とはゲーテの言葉だ。
物質的な満足は、もう充分だ。
僕らは精神的な満足を求めている。
この星に住む責任ある生命体として、僕らは土の上で「小さく豊かな暮らし」を楽しむのだ。
そして、高度経済成長の時代から、高度精神成長の時代へとシフトする。
Love&Rice楽団のライブで歌っているまゆちゃんの姿が印象的だった。
おなかに子を身ごもり、超ピュアな瞳で「迷うことはない」と歌う彼女の笑顔が、僕のまぶたに焼き付いている。
そう、迷うことはない。
僕たち一人ひとりが幸せになる権利がある様にこの星のすべての人も、全ての生命も幸せになる権利がある。
そして、その答えが、「今、こここ」にある…。
林良樹
あわのわ Vol.7 レポート
田んぼも一段落した11月3日火曜日文化の日に、あわのわコミュニティカフェ&マーケット Vol.7が行われた。
今回は時期的に、あわに移住してきた半農半X達の収穫祭だ。
前回はドシャ降りだったので、前日の夜シトシト雨が降り始めた時はヒヤヒヤしたが、当日は気持ちの良い秋晴れとなった。
オープニングはYaeちゃんのトークで始まった。画家であり、ミュージシャンでもある半農半アーティストの真砂秀明さんとのトークは、とても興味深かった。今回のライブ演奏をしてくれる曲は、2年の歳月をかけてつくられたニューアルバムからだ。
「いのちのもり」というタイトルのそのアルバム制作は丁度2年前、若狭湾のお寺で真砂さんとYaeちゃんが奉納ライブを行った時からはじまったのだと言う。
そして、あわのわの前日にやっとそのアルバムが完成し出来たてホヤホヤの新曲を、再びこのあわのわでYaeちゃんとセッションすることになった。しかも、その奉納ライブを行ったお寺は、アテルイという先住民のリーダーを祀ったお寺だという。
だからこの「いのちのもり」というアルバムは、アテルイへの鎮魂歌なのだと…。
この南房総にもアクルオウという先住民のリーダーがいた。そして、アテルイと同じようにアクルオウも滅ぼされ、人と地球が共に暮らしていた文明が終り、人と自然がバラバラに分断された文明が始まったのだ。
しかし、陽が落ちてから満月の下で演奏する真砂さんのインディアンフルートの音色は何かシャーマニックな儀式のように、神秘的に嶺岡山系へ響きわたった。
そしてYaeちゃんの大地の底からわき上がるような力強いボイスが、Kazさんと遠藤さんのギターと溶け合った瞬間、ボクはその神秘的なバイブレーションがアテルイとアクルオウの魂を浄化させたような気がした。
今回のあわのわは、実は森がテーマになっていた。意図したわけではないが、いつのまにか、そうなっていたのだ。
真魚長明さんのトーク、アニミズム・オフライン「森と、どんぐりと風車」も房総半島に今、林立しようとしている風力発電をストップさせ、再び人と森がつながった世界へいざなうものであった。風力発電自体は悪い物ではないのだが、日本にはまだヨーロッパのような規制が無く、低調波振動による健康被害が起きてしまうほど民家の近くに設置されてしまい、すでに四国や愛知で問題になっているのだ。
そしてボクの「虹の村にて」のコーナーでは来年から房総の森や里山で新しいプロジェクトを始めようとしている人達に集まってもらった。
生意気のデイビットは売れっ子のグラフィックデザイナーでありアーティストだが、東京というバビロンで資本主義やってゴミばっかりつくって地球を破壊するのはもうゴメンだと言って最近は、パーマカルチャーと自然農とアートをMIXさせたフードフォレストアートを仲間達と創っている。
そして、今住んでいる鎌倉じゃスケールが小さいので来年から鴨川に活動の拠点を移し、広大な森をフードフォレストアートして、そしてその森を管理する財団をつくって、千年の森づくりというスケールの大きい生命のアートをやりたいという。
仲間のフィルは、オーストラリアでパーマカルチャーを学び、大工の腕を活かし日本の伝統文化とパーマカルチャーのデザインを融合させた古民家再生を企画中だ
お次は種まき大作戦のサワダケイコちゃんだ。
彼女は、ボクとボクの住む釜沼集落の休耕地と里山を、都市住民(種まき大作戦)と開墾し、そこを再生しながら釜沼のおじいちゃんおばあちゃん達から暮らしの知恵を学び、そこから地域の資源や知恵を活かした仕事をつくり、地域住民と新住民とがつながった里山型エコビレッジをつくっていくプロジェクトを来年から始める予定だ。
そして地元でも新しい動きが始まっている。
里山里海研究会で「あわのわ協同組合」を立ち上げようという声が上がった。
自分達が必要なモノを、自分達で生産し、自分達で消費する。地域内自給を高める組合だ。みんな、自給用のお米や野菜はつくっているので、塩、大豆、小麦等を連帯して生産したら良いのではないかという意見が出ているそうだ。
食の基本的な部分を助け合い、まずはコミュニティの自給を高め、そしてそれがコミュニティビジネスに発展していけば自分達の仕事を生み出すことにつながっていくだろう。
最後に登場してもらったのは、木更津の農家小川さんだ。彼はボクの姉のとしちゃんと雑穀の村プロジェクトを来年から始めるという。姉は木更津で健康酒屋ベアーズを経営している。姉の店は一歩店内に入ると、BGMにボサノバが流れ九州の造り酒屋と連携したはかり売りオーガニック焼酎のかめがズラリと並び、お米や雑穀のはかり売りコーナーもあり、国産の有機食品や自然食品が並ぶ、ちょっと変わった酒屋だ。その姉の住む真里谷という地域に、安房マネー会員の小川さんもいて、今年から一緒に自然農で田んぼを一緒にやっている。田んぼをやりながら話がはずみ休耕地を借りてたかきびを栽培し、それを安房マネー会員でありマクロビオティック料理家の中島デコさんに監修してもらい加工食品をつくるプロジェクトを始めることになったのだ。なんと農水省の補助金も取れ、いよいよ来年から本格的にスタートするそうだ。安房マネーの仲間達で、生産、加工、販売までを一貫して行い、地域の休耕地も再生し、お客さんも健康になるという、農村型ソーシャルビジネスだ。これも安房マネーのネットワークの底力なのだろう。
今回のあわのわVOL.7は、ボクにとってシンボリックなイベントだった。
この列島の先住民のリーダー達の魂が、芸術によって癒され、彼らのスピリットが再び地上へあらわれたような気がする。
そのスピリットが、みんなのスピリットとつながり来年から房総の森や里山ではじまるステキなプロジェクトとなって、この傷ついた星を癒していくように思う。
この房総ではじまっている里山文化創造のうねりは、きっと地球の望みなのだ。
そう、地球の望みは、僕らの望みでもある・・・。
2010年は、新しいうずが起こりそうな予感がする。
あわのわ コミュニティカフェ&マーケット Vol.7
あわのわ コミュニティカフェ&マーケットVol.7を
11/3(火・文化の日)に行います。
あわの仲間のFullmoon収穫祭です。
今回のあわのわライブでは、葉山から
インディアンフルート奏者であり、画家であり、
半農半アーティストのパイオニアでもある真砂秀朗さんが、
レコーディング中の新曲を披露してくれます!
共にレコーディングをしているメンバーのKazさんと
遠藤さんも登場してくれ、ゴウカメンバーで満月に
照らされ深い音色に酔いましょう。
【FOOD】
鴨川自然王国
シャンティふぁ〜む
ベアーズ
はちみつ&棚田米百一姓
Seed of Spirits/風流
遊学の森コミュニティトレード
【CAFE/SWEETS】
Cafe En
Lokahi
Cafe SASAYA+テッペン堂
るんた
かまどの火
Cafe Tulsi
けい工房
Love&Rice
【衣】
enishi
kitta
つちのこもの nagi
【雑貨】
Be-nice Record
笹谷窯
星見亭ART STUDIO
Shanti Glass
Oneness Garden
【HEALING】
タロットリーディング REINO
パーマカルチャー VOL1
神奈川県相模原市藤野にあるパーマカルチャーセンタージャパンで行われる実習コースを、念願叶って今年一年受講することになった。3年前、代表理事の設楽(したら)さんに鴨川のわが家へ来てもらいワークショップを行った事があり、ボクはパーマカルチャーの視点に共感を覚えていつかしっかり学び、鴨川で実践していきたいと思っていた。
鴨川から約4時間かけて到着した藤野は約4年ぶりだった。藤野には、シュタイナー学校があり、知人の柳沢玲一郎さんが当時中等部の教師をしており、ボクは地理の授業に呼ばれて、アジア・ヨーロッパ放浪の旅を話しに行ったことがあった。
なだらかな里山がつらなるやわらかい風土の鴨川から藤野へ到着すると、一変して山国の風景が広がっていた。
久しぶりにお会いした設楽さんは、相変わらずお元気で、今や時代のニーズに乗って引っぱりダコだ。10年前受講生3名で始めたこの塾も、今年は藤野と関西と北九州と合わせると、受講生は150名を超え、しかもほとんど若い人ばかりだという。行き詰った現代社会は、若者を土へと向かわせているのだ。
初日は、パーマカルチャーの底辺に流れる精神性について、哲学的な講義からスタートした。
パーマネント(永遠、永続)、アグリカルチャー(農)、カルチャー(文化)を合わせた造語であるパーマカルチャーとは、デザイン、手法なのである。そしてデザインの本質とは、より良いモノをつくるためにある。すなわちパーマカルチャーとは、新しい農、新しい暮らし、新しいコミュニティー、新しい社会をつくるための手法なのである。パーマカルチャーは、よく農法のことと誤解されるが、そうではなくトータルな総合デザインなのである。オーストラリアで漁師をしていたビル・モリソンが40才を過ぎてから大学に入り、海から学んだ自然界の本質をパーマカルチャーとして表現したのだ。
パーマカルチャーの目的は、自立、自律、自己表現と3つある。
・自立とは、少々ムズカシイが絶対的安心感の獲得である。そして、自分で生きる技術を獲得すること。
様々な現象(自然界、人間、生活、コミュニティ、社会等)を観察し、思考し、その本質を理解し、そしてより良いものへとデザインし行動し実現させること。
・自律とは、倫理を確立させ、自由を実践すること。これも少々固い表現だが、個人が自由であるためには、社会の倫理が必要である。
そして、パーマカルチャーの倫理とは配慮である。
人への配慮、care for people.
地球への配慮、care for Earth.
自分個人と社会全体の望みが一致している状態こそが真に自由である。
・自己表現とは、創設することである。
自分自身から、かつて無かったものを生み出すこと。
無から有を創造すること。
真理と、本質と一体化すること。そして真理が宿れば永続するのである。
そして初日最後の講義は夜中の12時まで、「理想の世界とは?」「豊かさとは何か?」「豊かさをデザインする時に気をつけることは?」をテーマに熱気あふれる議論が交わされた。受講者34名が一人ひとり真剣に考え語り合う密度の濃い時間が流れた。
しかし結局、「答え」は無く、一人ひとりがこのパーマカルチャー塾を通して探してくださいという事で、この講義は締めくくられた。
ボクも、自分なりに真剣に考えた。
「理想の世界とは?」
地球上すべての人が生きるための基本的ニーズである衣食住が満たされ、人と自然、人と人とが対立せず、奪い合わず、共生している世界。
国境がなくなり、戦争がなくなり、地球がひとつとなり、誰も傷つけず、どこも汚さない平和な世界。個人の自由がみとめられつつも、コミュニティとしての連帯、調和が保たれ、真に民主的なコミュニティに人々は暮らし、巨大な権力を頂点とするピラミッド社会ではなく、小さなコミュニティがフラットにつながり、そのネットワークがマンダラのように地球上をおおうネットワーク社会を形成する。そして、男性社会から母性社会となり、人類は高い霊性と高い美意識を持ち、緑の生命調和文明を開花させる。
しかし、戦争や環境破壊が無くなったと言っても、この世にいっさいの苦しみが無くなったわけではなく、親子の葛藤、夫婦の葛藤等、人間関係の葛藤や、老い、病、死別の悲しみ等は以前としてあり、だからこそ人はその苦しみを乗り越え、精神的に成長し、それぞれのペースで真理(愛、平和、自由、平等)を理解し、人類社会はより進化し、無限の生長をとげていく。
「豊かさとは何か?」
一人ひとりが、精神的にも物質的にも満たされ、愛を与え合え自由に生き、人生を楽しむことができる状態。
毎日おいしいごはんが食べられ、着るものにこまらず、雨風をしのぐ簡素だが美しい家があり、人々は足りるを知り、多くを求めず、家族やそのコミュニティは平和に暮らしている。
「豊かさをデザインするときに気を付けることは?」
一瞬、一瞬の自分の選択が、これから先も地球上のあらゆる生命、土、水、光、空気、植物、動物、人間、さらに太陽系、銀河、宇宙にとって調和がとれているか、愛にもとずいているか意識する。
すなわち地球意識を、宇宙意識をもって生きること。
しかし、100%を求めるときついし、長続きしないので、無理をせず自分の出来るトコロから、自分のペースで一歩一歩あゆみ続け、理想へ向かっていくというスタンスも大切。この時、気をつけなければならないコトは、個人の自由を殺すことなく、全体にとっても喜びや幸福につながることか、常に自分の「内なる声」を聴く感性を持つこと。
その選択が、自分にとって「本当にワクワクし、楽しいと感じられるか?」自分の感情を冷静に観察することも重要である。
そして、古今東西の英知を集結させ、最も調和のとれた最も平和で最も美しいアースビジョンを思い描くこと。
以上がボクなりに考えてみた今のトコロの結論だ。しかし「答え」はひとつではない。人の数だけ「答え」はあるし、固定できないものであろう。「答え」はボクと共に変化し、成長していくのだから。
だから「答え」とは、今のその人の存在そのものが、生き方そのものが、その人の「答え」をあらわしている。
なぜならその人の思いや考えが、その人の人生の結果なのだから。ならば、今の社会全体の姿が、人類の「答え」なのだろう。やはりこの社会が変容するには、一人ひとりの思いから、意識から変わらなければ、変化しないのだ。その一人が変わるためには、演説したり、説教したりするよりも、ボクらが自然の中でいかにステキな生活を実践しているか見せてあげることが一番の近道なのだと思う。理想や夢を語るのではなく、自分自身が理想や夢を生きるのである。それが一番説得力があり「感動」がある。そして「感動」した人は、人生を変えることが出来る。「感動」という体験は、この世で一番パワフルなのだから。
だから、一人ひとりが自分の「感動」する人生を生きよう。自分が充実し、満たされた人生を送っている人は、他から奪わないし、他を攻撃しないものだ。逆に他を助け協力する精神的余裕が生まれる。そんな生き方をする人たちが増えることによって社会は自然とか変わっていく。世界中で多くの人がそのことに「気づき」始めている。それが現代の新しい革命だ。21世紀は一人ひとりの笑顔が、世界の笑顔をつくっていくスマイルレボリューションの時代なのだ。
「この文明からのエクソダス(脱出)」
今から18年前の1990年、
ボクはアメリカ先住民であるスー族のエディ・リトルスカイに
サウスダコタ州のウンテッドニーという土地へ連れていってもらったことがあった。
そこは18世紀末ヨーロッパから来た侵略者によってスー族の女、子供、老人まで情け容赦無く、
大虐殺が行われたトコロであり、1970年代には先住民の若き革命家達がアメリカからの独立を求め
武器を持って立ち上がり軍によって弾圧された「ウンテッドニーの戦い」が行われたトコロでもある。
今は静かなウンテッドニーの草原で彼は絶滅の危機に瀕しているバッファローの保護につとめ、
ボクにバッファローを見せようとそこへ連れて行ってくれたのだ。
だがその日、残念ながらバッファローの姿はあらわれなかった。
エディ・リトルスカイはアメリカ人ではなかった。
母なる大地に生きる人、スーであった。
スーとはラコタ語で「人間」を意味する。彼はスーとしての自信と誇りに満ちていた。
ボクは、彼の堂々としたプライドにショックを受け、自分が今まで生きて来た世界がとても薄っぺらに思えた。
ボクのルーツはなんだろう…?
それからボクは探し求めた。
東京、アメリカ、香港、タイ、ネパール、インド、トルコ、ギリシャ、
イタリア、ドイツ、オーストリア、スイス、オランンダ、スペイン、
フランス、イギリス、京都、四国、信州、屋久島…。
ボクは地球上を旅して探した。
そして10年かけてやっと見つけたトコロが安房だった。
鴨川の里山に並ぶ棚田の集落に始めて来た時、ボクの胸は高鳴り、魂の記憶がスパークした。
ココはボクの魂のルーツだった。ココでボクの肉体を移動させる旅が終わった。
ココでボクは、日本人でもなく、先進国と呼ばれる文明人でもなく、
地球に暮らす「人間」として生きようと決めた。
そして新たな精神の旅が始まった。
ボクらの暮らすこの文明は、一握りの人達が
ほんの一時だけ良ければ他はどんなに汚しても傷つけてもかまわない。
それが結局自分自身を汚し傷つけていることにも気付かないほど未熟だ。
このシステムを支えているのは経済という新宗教だ。
そしてその聖地である大都市に、巨大な高層ビルという寺院を林立させている。
日本も戦後、高度経済成長と共に40年間も千葉の山を削り続け、
なんと千葉県の森林の1割が消えてしまった。
これは日本全国でも驚異的な数字である。
首都圏は千葉の山で出来ていると言っても過言ではない。
そしてアクアライン、館山道開通後その文明の破壊行為は南房総へと伸びてきた。
今度は富津市の国有林のある鬼泪山(きなだやま)がねらわれている。
県は原則として国有林からの山砂採取は認めてこなかったが、
山砂業界は経済効果が高いとの理由で自民党県議団に働きかけ、県を追い込んでいる。
このまま首都圏の開発が進めば千葉の自然はズタズタにされてしまう。
地球が砂漠化に向っている現在、もうこれ以上森林を無くしてはいけない。
この構造は、まさに現代文明の縮図とも言える。
ボク達人類がつくり上げて来たこの文明こそが問題なのだ。
地球上におこったすべての文明は滅んで来た。
エジプト、ギリシャ、インダス、メソポタミア、黄河、
マヤ、アステカ、インカ…。
そして神話に登場するアトランティス、レムリア、ムーも。
しかし今回の文明で失敗すると、もうこの星には誰も住めなくなってしまうだろう。
それ程までに汚してしまったのだ。
鬼泪山とは、房総半島に暮らして来た先住民である縄文人の長、阿久留王(あくるおう)が、
大陸から侵略して来たヤマトタケルに殺された山である。
鬼の泪とは、阿久留王の涙なのだ。
だから鬼泪山は、日本のウンテッドニーとも言える。
そして日本でも「ウンテッドニーの戦い」がすでに始まっているのだ。
ここ数年、若者たちが新しい生き方を求め安房へと集まってきている。
彼らは武器を持つのではなく、新しい文化を、調和という精神をたずさえて、
自給用の小さな農を営みながら自分の天職を仕事にする半農半Xという生き方で、この文明と戦っているのだ。
「持続可能で平和な生命調和文明などできるものか。
歴史をみてみろ、そんなコトは人間にはムリなんだ。」と言う人がいる。
前例がないなら、ボクらが前例になろう。
ボク達人間は、無から有を創造することが出来る。人間の可能性は無限なのだ。
世界をデザインしなおそう。
お金も、食べ物も、農も、衣服も、家も、教育も、
買い物も、エネルギーも、生活も、コミュニティーも、
できるトコロから、実践していこう。
そして同じ思いの人とつながろう。
つながれば大きな力になる。
「そう思っているのは一人じゃない。」とジョンレノンが「イマジン」で歌っていたように。
そして、誰も幸せにしないこの文明からエクソダス(脱出)しよう。
さぁ、ワクワクする新しい文明へ出発だ。




